大学から突然、「あなたの論文はAIが書いたのではないか」と疑われたら、どうするだろう。
「いや、自分で書きました」と言えば済みそうな話だが、どうやら、そう簡単でもないらしい。
BBCが報じた英セント・アンドルーズ大学の学生のケースが面白い。いや、本人にとってはまったく面白くない。むしろ、とんでもない災難だった。
問題になった論文について、評価者が気にしたのは「文章のトーンが洗練され、均一である」「文法が一貫して正確」「文の構造が似ている」といった点だったという。
さらに、段落が「一般的な主張→例や結果→結論」という形になっていることも、AIらしい特徴として疑われた。
……ちょっと待ってほしい。
それ、昔から学校で教えてきた「ちゃんとした文章の書き方」ではないのか。
文章は論理的に書きましょう。文法は正確に。段落ごとに論点を整理しましょう。主張には根拠を示しましょう。最後には結論を書きましょう。
学生は何年もそう教えられてきた。
ところが生成AIが登場し、AIも同じように書くようになった。
すると今度は、
「文章が整いすぎている。AIでは?」
と疑われる。
これはかなり困る。
しかも、ネットで「AIっぽくない文章を書く方法」と検索すると、もっと面白いことになる。
GoogleのAIによる概要まで、「整いすぎた機械的な論理を崩す」「長文と短文を混ぜる」「具体的な個人体験を入れる」「本当の感情や意見を書く」といった方法を教えてくれる。
つまり、
人間が書いた文章をAIだと疑われ、AIに「もっと人間らしく書く方法」を相談する。
何なのだ、この状況は。
たとえば自分で一生懸命書いた論文が、あまりに整っていたためAI使用を疑われたとする。
そこでChatGPTに、
「この文章、AIっぽいと言われました。もっと人間が書いたように直してください」
と頼む。
AIが文章を直す。
先生が読む。
「うん。前より人間らしくなりましたね」
いや、今度こそ本当にAIを使っている。
完全に逆ではないか。
考えてみれば、「AIらしい文章」という概念そのものがおかしなことになりつつある。
そもそも生成AIは、人間が書いた膨大な文章から言葉の使い方を学んできた。AIが「主張→具体例→結論」という構成を好むのも、宇宙からその書き方を持ってきたわけではない。人間がそういう文章を大量に書いてきたからだ。
AIが人間をまねした。
そのAIを見た人間が、「この書き方はAIっぽい」と言い始めた。
そして今度は人間が、AIに間違われないように、その書き方を避け始める。
さらにAIは、そうして生まれた新しい人間の文章も学習する。
もう誰が誰をまねしているのか、よく分からない。
そうなると、将来の大学では本当に「AIっぽくない文章の書き方」という授業が必要になるかもしれない。
第一回。
「文章を整えすぎないようにしましょう」
第二回。
「ときどき話を脱線させましょう」
第三回。
「個人的な好き嫌いを入れてみましょう」
第四回。
「同じ表現を繰り返すのも、人間らしさです」
第五回。
「たまには変なことを言いましょう」
……ここまで書いて、ふと思った。
この基準なら、ドナルド・トランプ氏の発言はものすごく「人間らしい」のではないか。
好き嫌いははっきりしている。感情も強い。表現を繰り返す。話が突然別の方向へ飛ぶこともある。質問されたテーマから離れて別の話を始めることも珍しくない。事実関係について多くのファクトチェックを受けてきた人物でもある。
AI判定システムに文章の「人間らしさ」を100点満点で採点させたら、妙に高得点を取ってしまうかもしれない。
「論理構成にばらつきがあります」
人間ポイント、プラス10。
「同じ表現を何度も使用しています」
プラス20。
「途中で話題が変わりました」
プラス30。
「強い個人的評価が含まれています」
おめでとうございます。
あなたは人間です。
もちろん冗談だ。
ただ、笑ってばかりもいられない。
文章の特徴だけを見て「AIが書いた」と判断することには、かなり慎重であるべきだと思う。
なぜなら「AIらしい特徴」が知られた瞬間から、AIにその特徴を消させることができるからだ。
「箇条書きを減らして」
「文章の長さをばらばらにして」
「少し脱線して」
「個人的な感想を入れて」
「AIっぽい言い回しを全部消して」
こんな指示は今すぐできる。
逆に、人間が偶然「AIらしい文章」を書くことも当然ある。
だったら、見るべきなのは文章の見た目ではなく、その文章がどうやって作られたのかではないだろうか。
下書きはあるか。資料をどう調べたか。引用元を理解しているか。WordやGoogle Docsにどんな修正履歴が残っているか。そして本人に質問したとき、自分の言葉で説明できるか。
こちらのほうがずっと重要だ。
AI時代の教育で問うべきなのは、
「この文章はAIっぽいか?」
ではなく、
「あなたはこの文章について、自分で考えたと言えるか?」
なのだと思う。
そうでなければ学生は、そのうち文章をわざと下手に書き始める。
文法を少し間違える。
構成をちょっと崩す。
突然関係ない話をする。
意味もなく感情を入れる。
そして先生が安心する。
「よかった。これは人間が書いた文章だ」
そんな教育になったら、さすがに本末転倒だろう。
……もっとも、その「わざと下手に書く方法」までAIに教えてもらう学生が出てくると思う。
いや、もういるか。
たぶんいる。
というか、「AIっぽくない文章」とGoogleで検索すれば、AI自身が教えてくれる。
ここまで来ると、AIを見破るゲームを続けるより、評価方法そのものを考え直したほうが早い。
あれ、最初は何の話だったっけ。
そうだ。
文章は、あまり上手に書きすぎないほうがいいらしい。
少なくとも、人間だと信じてもらいたいなら。