はじめに:これは「失敗作」の話ではない
2025年12月25日クリスマスの日に、「Xiaomi 17 Ultra by Leica」が発表された。本体背面にはようやくライカのレッドドットが搭載され、側面には「LEICA CAMERA GERMANY」の刻印やローレット加工が施されている。
決して出来の悪いスマートフォンではない。むしろハードウェアだけを見れば、近年のスマートフォンの中でも屈指の“豪華仕様”を備えている。
- 1インチ級センサー+LOFIC対応メインカメラ
- 2億画素・内蔵光学ズーム望遠
- Leica監修、APO表記
- Ultraの名に恥じない物量投入
しかし、それでもなお本機に感じるのは「進化しているはずなのに、何かが決定的に足りない」という違和感だ。
この違和感の正体こそが、Xiaomiにおける計算写真アルゴリズム=コンピュテーショナルフォトグラフィー終焉の兆しである。
Xiaomiはなぜ「計算写真」が弱いのか
Xiaomiのカメラが長年抱えてきた問題は、決してセンサーサイズや画素数ではない。
- HDR合成の安定性
- 夜景におけるISO/シャッター制御
- 多フレーム合成の一貫性
- レンズ間の色再現統一
これらはいずれもソフトウェア主導でしか解決できない領域だ。
しかしXiaomiは、歴史的に見て計算写真を中核技術として積み上げてきたメーカーではない。
PixelやiPhoneのように「同じ構成を何世代も使い、アルゴリズムを熟成させる」という道を選ばず、
世代ごとにハードウェアを刷新し、その都度“最短距離の最適化”を行う
という手法を取ってきた。
その結果、アルゴリズム資産が世代を跨いで蓄積されないという致命的な構造が生まれた。
Xiaomi 14以降に起きた「決定的な断絶」
Xiaomi 14世代以降、もう一つ見逃せない事実がある。
ソフトウェア中核人材が、小米汽車(Xiaomi Auto)へ大きくシフトしたことだ。
計算写真は、
- 人
- 時間
- 継続的な検証
を最も必要とする分野である。
この体制変化は単なる「リソース分散」ではなく、モバイル影像における長期開発ラインの事実上の中断を意味する。
その結果が、Xiaomi 15 Ultraで露呈した。
“夜神”と称しながら、実写評価では「夜盲」とまで言われた夜景性能。
これは調整ミスではなく、夜景パイプラインそのものが未成熟だった証拠だ。
Xiaomi 17 Ultra:10か月で別物ハードウェア
さらに深刻なのは、Xiaomi 15 Ultraから17 Ultraまでの流れである。
- 発売間隔:約10か月(*Xiaomi 15 Ultraの日本での発売日は2025年3月18日(火))
- メインセンサー:変更
- 望遠構造:内蔵光学ズームへ全面刷新
- ISP・読み出し特性:おそらく別物?
影像開発に携わる者なら誰でも分かる。
この条件で「ソフトウェア最適化が進んでいる」は物理的に不可能だ。
通常、新しいカメラ構成には12〜18か月の調整期間が必要である。
つまり17 Ultraは、
- ハードウェアは完成している
- だがソフトウェアは「通しただけ」
という状態に限りなく近い。
語られないものが、最も雄弁である
Xiaomi 17 Ultraの発表で語られたのは:
- LOFIC
- 1インチ
- 2億画素
- 光学ズーム
- Leicaロゴ
一方、語られなかったものは何か。
- 計算写真アルゴリズムの進化
- 夜景合成手法の刷新
- セマンティックHDR
- フレーム選択ロジックの改善
これは「秘密」ではない。存在しないから語れないのである。
ハードウェア至上主義という“自己完結”
ここに至ってXiaomiの影像戦略は、完全に一つの閉じた循環に入った。
- ソフトウェアが弱い
- → ハードウェアで差別化
- → コスト増
- → 体感差は限定的
- → 利益が出ない
- → ソフトウェアに再投資できない
- →さらにハードウェアで差別化
- → さらにコスト増
このループから抜け出すには、製品哲学そのものを変える必要がある。
しかし17 Ultraは、その兆候を一切見せていない。
結論:終わったのは「一機種」ではない
Xiaomi 17 Ultraは、きっとスマートフォンとして失敗作ではないだろう。
だが、
Xiaomiにおけるコンピュテーショナルフォトグラフィーという思想は、
ここで一度、役割を終えつつある。
残っているのは、
- 物量
- ブランド
- 機構
- マーケティング
そして、ソフトウェアなき影像進化は、必ず頭打ちになる。
Xiaomi 17 Ultraは、その限界点を示す象徴的な存在になろうではないか。